とてもマニアックなスポットの紹介です。
殖民軌道。簡易軌道とも呼ばれます。
北海道において、開拓のために敷設された鉄道のことで、
いわゆる国鉄やJRのものとはまったく別物です。
私(なかま娘)もまだまだ勉強中のため、詳しい説明はウィキペディアに譲ります(^^;)
北海道独自の軌道ですが
特に標茶町にはいくつかの路線があったそうで、
そのあたりの事情に詳しい常連客のNさん@千葉 によると
『標茶といえば殖民軌道の町だよね』とのこと。
え~!標茶にそんなイメージなかった!
すぐ足下のことなのに、ぜんぜん知らない!
というわけで、急に興味が湧き、手始めに
やはりNさんに教わった沼幌終点を訪ねてみました。
なかまの家から車で15分ほどの場所です。
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資料によると、標茶線の最後に完成したのが沼幌支線です。
1966年に運行開始したものの、1970年に休止。
その後すぐに本線も廃線になったのでたった4年しか使われなかったらしい。
その終着地点に、いま現在も
車庫と住宅らしき建物、そして鉄橋が残っているのです。
車庫(左)と住宅らしき廃屋。
古い写真を見ると、これらの建物の間にもレールが続いていたようです。
車庫。中を覗くと、枕木もそのままにありました。
転車台の跡も確認できます。
そして、ヌマホロ川にかかる鉄橋。
この通り、はっきりと、その証が!
かつてこの先からレールが伸びていて、標茶市街地との間を
客を乗せた車両が行き来していたんだなぁ~。
鉄道についてはまったく詳しくないけど、
廃線跡から垣間見える、当時の人々の暮らしぶりには興味が湧きますね。
主にどんな用事で殖民軌道を利用していたんだろう?買い物とか?
また別の日、興味あり!というお客さんと一緒に見に行ったりもしました。
(Oさん@新潟、Mさん@帯広、下記読んでね! 実行しましたよ!)
というわけで、興味ある人は、場所を地図上でご案内しますよ~
ちなみに、町によって特に保存されているわけではないので
案内板など一切ありません(それはそれでもったいないですよね)。
事前に予習したい方は、多少の資料なら宿にあります。
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ここからはおまけです。
後日、地図で確認して見てみると、
どうやら終着地点から約3キロほどは廃線後しばらくは
車道として利用されていたらしいことを発見。
これは・・・もしかして歩けるんじゃ!?
草が伸びきらないうちにやるしかない!ということで、挑戦してみました。
沼幌終点から、国道までの約3キロです。
歩き始めは、築堤がはっきりしてわかりやすかったのですが・・・
藪を漕いだり・・・
倒木をかわしているうちに・・・
一時見失って迷子になりましたが、
なんとか線路跡の続きに合流して・・・
山の中を歩くこと2時間あまり。
「なんとなく開けていて線路跡っぽいかなー」という
勘だけが頼りでした(^^;)
牧草地の端っこに出ました(この時の安堵感といったら!)。
国道に出て、ゴール!
(もちろん実際の軌道はこの先も続いていたけど、歩けそうだったのはここまでなので)
この日のメンバーは、誘いに喜んで乗ってくれた Yさん@北見と、
当日の朝に急きょ参戦したわりに、誰よりも
探検隊っぽい出で立ちのHさん@岐阜の3人でした。
(Hさん、バイクで来てたのにこの傘もアライグマの尻皮も自前なんだもの!)
ひとまず沼幌支線の探索レポはこれにて一区切り。
しかし標茶の殖民軌道の歴史は、まだまだ奥が深そうです!